吉野川市の日本遺産

公開日 2026年01月28日

日本遺産

吉野川市は「四国遍路」と「藍のふるさと阿波」という2つのストーリーが日本遺産に認定されています。

2つの日本遺産構成自治体と連携し、構成文化財を魅力ある地域資源として観光や交流促進等に最大限に活用することで、地方創生へと繋がる取り組みをさらに進めてまいります。


 

四国遍路 ~回遊型巡礼路と独自の巡礼文化~

 弘法大師・空海ゆかりの札所を巡る四国遍路は、阿波・土佐・伊予・讃岐の四国を全周する全長1400キロに及ぶ、壮大な回遊型巡礼路です。この巡礼は1200年以上にわたり継承され、今もなお多くの人々によって続けられています。
 四国の険しい山道や長い石段、のどかな田園地帯、波静かな海辺や最果ての岬を「お遍路さん」が行き交う風景は、四国路の風物詩となっています。
  一般的な「往復型」の聖地巡礼(キリスト教、イスラム教など)とは異なり、四国遍路は国籍や宗教・宗派を問わず、誰もが「お遍路さん」となれるのが特徴です。地域住民からの温かい「お接待」を受けながら、供養や修行、あるいは救いや癒しを求めて弘法大師の足跡を辿る旅は、自分と向き合う「心の旅」として、世界でも類を見ない巡礼文化を形成しています。

四国遍路日本遺産協議会公式ウエブサイト

日本遺産ポータルサイト(「四国遍路」)

四国霊場第11番札所藤井寺

 境内には弘法大師が植えたと伝わる五色の藤が有名で、これが寺名の由来となっています。本尊の「木造釈迦如来坐像」は、明治44(1911年)に国の重要文化財に指定されました。 この藤井寺から第12番札所焼山寺へ向かう遍路道は、四国霊場88カ所の中でも唯一、弘法大師が約1200年前に歩いた当時の自然がそのまま残されている貴重な道です。「最後まで残った空海の道」として大切に保存されています。

第11番札所藤井寺藤井寺木造釈迦如来坐像最後まで残った空海の道ウォーク

空海の道焼山寺 空海の道ウォーク川島潜水橋

 

 


 

藍のふるさと阿波 ~日本中を染め上げた至高の青を訪ねて~

 古くから日本人の生活に深く関わり、神秘的なブルーといわれた「藍」。
 徳島県の北部を雄大に流れる吉野川の流域は、かつて藍染料の日本一の産地でした。
 この地域の平野部には、高い石垣と白壁に囲まれた豪農屋敷が点在し、脇町には豪華な「うだつ」が上がる町並みが残されています。また、「阿波おどり」のリズムからも、藍染料の流通を担い、全国を雄飛した藍商人たちの栄華をうかがい知ることができます。そして、この地域では今もなお、伝統的な技法で藍染料が生み出され、その奥深い色彩は人々を魅了し続けています。

藍のふるさと阿波スマートガイド

日本遺産ポータルサイト(藍のふるさと  阿波)

 吉野川市(旧麻植郡、旧阿波・板野郡の一部)は、江戸時代から明治時代にかけて、藍の一大産地として繁栄しました。江戸時代には、「藍性日本一」と称された内原村や麻植塚村において、反当たりの収穫量が上作で55貫文、辻(平均)で45貫文と、徳島県内でも最高水準の収穫量を誇っていました。明治36(1903)年には、藍の作付け面積がピークを迎え、徳島県内で15,100haもの広大な藍畑が広がっていました。中でも麻植郡は、3,247haと最も多くの藍畑があり、次いで板野郡(3,246ha)、美馬郡(2,712ha)、阿波郡(1,879ha)、名西郡(1,807ha)と続きます。
 このように藍が盛んな土地からは、多くの藍商が輩出されました。享和3(1803)年の「関東売仲間」の記録には、阿波屋勘三郎、藍屋五右衛門、石原六郎、須見千次郎といった藍商人の名が見られます。また、徳島市勢見の金毘羅さんの玉垣には、川真田家の屋号(万¬)【カネマン】の印が刻まれています。
 明治20年代には、藍商人たちが共同出資して阿波国共同汽船(株)や徳島鉄道(株)を設立するなど、新たな事業にも乗り出しました。川真田家はこれら両会社の設立に携わり、社長も務めました。交通の発達は人や物の移動を活発にし、鴨島駅前には商店街が形成されるなど、地域の商業発展に大きく貢献しました。のちに藍商たちは、藍で蓄積された潤沢な資本を基に製糸業や蚕種業に転換し、地域のさらなる産業経済の発展に寄与していきました。   
 川真田家の本カネマン藍屋敷跡地は、その後、麻植協同病院となり、現在は県内最大級の吉野川市アリーナ、複合施設である「吉野川市民プラザ」となり、中心市街地におけるにぎわい交流拠点施設として利用されています。

 

 ~山川町諏訪の藍屋敷~

 吉野川市(旧麻植郡)は、江戸時代から明治時代にかけて県内最高水準の収穫量を誇る大藍作地帯として繁栄しました。吉野川市山川町には、その隆盛を今に伝える豪壮な藍屋敷が、吉野川にほど近い場所に現存しています。阿波藍の生産量が最盛期を迎えた明治期に建てられたこの藍屋敷は、主屋を中心に藍染料の生産・加工を行う附属施設で周囲を囲み、南側には「通門」が配されています。
 吉野川の洪水対策として、敷地内の建物の地盤を約1m高くするとともに、西側には、県内最大規模となる15間(約30m)もの長大な「寝床」を配置しています。この「寝床」は2階建てで、太い木材を柱や梁に用いた力強い構造となっています。この豪壮な屋敷の佇まいからは、阿波の繁栄を支えた藍師・藍商人の活躍ぶりがうかがえます。

諏訪の藍屋敷

 

 ~工藤家住宅を中心とした藍関連文化財群~

 西麻植地区の工藤家は、藍師兼藍商人として活躍しました。風情ある藍屋敷の佇まいからは、往時の隆盛を感じることができます。明治36(1903)年、工藤虎吉は、大阪で開催された第5回内国勧業博覧会に藍玉を出品し、一等賞に輝き金杯を授与されました。

 工藤家の近くにある西麻植駅は、工藤源助や工藤虎吉(鷹助の父)が費用の大半を負担して開設したものです。    
 また、工藤鷹助は、西麻植駅の利用者が減少による廃駅の危機に際し、その存続のために、大衆の憩いの場となる施設の計画を立案しました。彼は自らの所有地2万坪を提供し、昭和6(1931)年に江川遊園地(昭和44年吉野川遊園地に改称、平成23年閉園)を創設しました。
 さらに、西麻植八幡神社の本殿玉垣には、工藤源助、工藤虎吉、工藤和喜太、麻植松太郎といった藍商人たちの名や、日本郵船の社長を務めた近藤廉平の名も刻まれており、彼らの地域への貢献を物語っています。吉野川市の有形文化財に指定されている西麻植八幡神社の備前焼の狛犬、太鼓橋、両部鳥居なども、地元の有力な藍商人たちによって寄進されたものです。その他、奉納石碑や御神燈にも、地元の藍商人たち、そして東京計器の創設者である和田嘉衡などの名が刻まれており、工藤家をはじめとする藍師・藍商人が、この地域の発展に大きく貢献したことがうかがえます。

工藤家住宅西麻植八幡神社

 

 ~阿波おどり~

 阿波藍の販売で莫大な富を得た藍商人たちは、阿波おどりに全国各地のさまざまな要素を取り入れました。上方で流行していた即興寸劇「俄(にわか)踊り」が登場するようになったのをはじめ、「阿波よしこの節」は茨城県の「潮来(いたこ)節」がもとになっていると伝わります。また、阿波おどりのリズムは、奄美八重山の「六調」、沖縄の「カチューシャ」、九州の「ハイヤ節」、広島の「ヤッサ節」などのリズムとも共通点があるといわれています。全国に雄飛した藍商人たちの足跡を感じさせる阿波おどりは、徳島の歴史と文化が育んだ伝統芸能です。 
 鴨島駅前通りは、藍商人の本・北カネマン家が社長を務めた徳島鉄道(株)によって開設された鴨島駅から、本カネマン藍屋敷跡地(現在の日本フネン市民プラザ)へ直結する幹線道路です。この通りは、現在の鴨島駅前の中心となる都市計画道路です。

阿波踊り

 ~川島の浜の地蔵~

 川島の浜の地蔵(令和3年7月16日追加認定) ←内部リンク

 

~旧富本家住宅および旧山瀬郵便局~

 旧富本家住宅および旧山瀬郵便局(令和7年7月31日追加認定) 内部リンク

 

~岩の鼻展望台から見える藍の流通の景観

 岩の鼻展望台から見える藍の流通の景観(令和7年12月25日追加認定) 内部リンク

 

お問い合わせ

教育委員会 生涯学習課
TEL:0883-22-2271
FAX:0883-22-2270
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